このページの要旨
IUCNレッドリスト "Least Concern" カテゴリーは、普通は「軽度懸念」と訳されていますが、このサイトでは、「絶滅のおそれなし」と注意書きをしています。筆者はなぜそうしているのかという話です。

前置き:レッドリストとは?

動植物の「レッドリスト」とは、ある地域の絶滅危惧種のリストです。日本では環境省が日本全体のレッドリストを、都道府県やその他の自治体などもそれぞれの地域に対応したリストを公開しています。また、世界中の絶滅危惧種を対象としたいちばん有名なリストには、「IUCN Red List」があります。IUCNとは、International Union for Conservation of Nature(国際自然保護連合)です。

この「水元公園の生き物」では、各種類ごとに、環境省、東京都、IUCNのレッドリストに掲載されているかどうかを調べています。一つの目安としてご覧いただければと思います。環境省、東京都、IUCNのレッドリストへのリンクは、目次ページの一番下にあります。

レッドリストの "Least Concern" とは?

レッドリストでは、動植物の種類ごとに、どのぐらい絶滅に瀕しているのかの程度を何段階かのカテゴリーに分けています。この方法は、IUCNレッドリストの方法がもとになっていて、現在の各種のレッドリストで共通の基準が使われている場合も多いようです。IUCNで現在使われているカテゴリーは2001年から使われている Ver. 3.1 という基準です。下の表をご覧ください。カテゴリーは表中でアンダーラインのついた 9種類です。右側は、対応する日本語のカテゴリー名です。色はこのサイト内で識別のため使っているものです(スマホでは色がでません)。

カテゴリー 略号 日本語名称
(Adequate Data)
(適当なデータあり)
Extinct EX 絶滅
Extinct in the Wild EW 野生絶滅
(Threatened)
(絶滅危惧種)
Critically Endangered CR 絶滅危惧 IA 類 (注1)
(Evaluated)
(評価)
Endangered EN 絶滅危惧 IB 類 (注2)
Vulnerable VU 絶滅危惧 II 類 (注3)
Nearly Threatened NT 準絶滅危惧
Least Concern LC 軽度懸念
Data Deficient DD 情報不足
Not Evaluated NE 未評価
注1 「絶滅寸前」と訳されることも
注2 「絶滅危機」と訳されることも
注3 「危急」と訳されることも

レッドリストでは、動植物の種類ごとに、この表のどの項目に該当するかが分けられます。まず、評価(検討)が行われているかどうか、という区分(評価・未評価)が最上位にあり、まだ評価が行われていない種類はレッドリストには載っていません(未評価)。すでに評価が行われた場合、その時点で判断を下すためのデータが十分集まっていたかどうかによって、適当なデータあり・情報不足に分けられます。適当なデータがあったものについて、絶滅、野生絶滅、絶滅危惧、準絶滅危惧、軽度懸念に分けられ、絶滅危惧がさらに3段階(IA類、IB類、II類)に分けられています。

この表のオリジナルは IUCN 日本委員会というホームページに掲載されています(http://www.iucn.jp/species/redlist/redlistcategory.html)が、環境省、東京都などの日本でつくられたリストでも、同じ用語が使われていました。ただし、環境省、東京都など、日本のレッドリストでは、IUCNのレッドリストと違って、「軽度懸念(LC)」というカテゴリーがなく、軽度懸念という用語は出てきません。LC というカテゴリーを「軽度懸念」という日本語に直しているのは、IUCN 日本委員会ホームページだけのようです。LC とはどういう意味の項目でしょうか?IUCNホームページの定義は下のようになっています(http://www.iucnredlist.org/technical-documents/categories-and-criteria からリンクされているPDF)。

LEAST CONCERN (LC)
A taxon is Least Concern when it has been evaluated against the criteria and does not qualify for Critically Endangered, Endangered, Vulnerable or Near Threatened. Widespread and abundant taxa are included in this category.

これを自分なりに訳してみました。

ある分類群(種)が "Least Concern" とされるのは、その分類群が「絶滅危惧 IA 類」、「絶滅危惧IB類」、「絶滅危惧 II 類」そして「準絶滅危惧」のどれにも該当しなかった場合である。その分類群が広範囲に分布していたり、個体数が多い場合には、このカテゴリーに含められる。

つまり、すでに評価済で、情報不足ではなかったすべての種類のうち、絶滅のおそれがある種類以外のすべての種を「LC」というカテゴリーに入れる、という意味です。たとえば、IUCN レッドリストの LC カテゴリーには、

などの種も含まれています。これらはいずれも、世界各地に広がっている、絶滅からはもっとも遠い種類でしょう。

「レッドリスト」なのに、なぜ絶滅のおそれのない種類まで含めるのかというと、IUCN のレッドリストが現在まだ未完成で、世界各国の無数の動植物には、まだ「未評価」の種類が非常に多いことと関係ありそうです。LC カテゴリーがあることにより、ある種類がレッドリストに載っていない場合、その種類がリストにないのは絶滅のおそれがないからではなく、未検討だから載っていないのだという区別ができるからです。これはレッドリストを使う上で、非常にありがたいことです。しかし一方で、レッドリストの維持管理の面から考えると、リストに掲載される種類が格段に増えるため、より多くの費用や労力がかかる方法です。単純に考えても、将来 IUCN レッドリストが完成すると、絶滅のおそれの有無にかかわらず世界中の動植物の種類すべてがレッドリストに含まれることになるわけです。世界中の全種類の1種1種の情報をデータベースとして蓄え、常に最新に保つ労力を考えると、気が遠くなります。

現状では、上にも書いたように、IUCN のレッドリストは未完成です。例えば、日本だけに生息している種(日本固有種)には、まだ未評価の種類がたくさんあります。というか、掲載されている種類のほうがまだ少ないです。検討の進み方は分類群によって違うようですが、哺乳類、鳥類など種類数が少ないものは日本固有種などもかなり進んでいる一方、淡水魚類や昆虫類、その他マイナーな分類群ではまだまだ全然掲載されていません。一方、日本で作製・管理されているレッドリスト(環境省や自治体など)では、LC に相当するカテゴリーは用意されていません。日本のレッドリストでは、すでに日本産のほぼすべての動植物が評価対象となっているから「未評価」と「絶滅危惧でない種」の区別を気にしなくてもよいからなのか、あるいは LC カテゴリーを含めると維持管理のコストが大変になるからなのか、両方なのかもしれません。

さて、こういう背景を考えると、LC カテゴリーの日本語訳が「軽度懸念」であることには違和感があります。"Least Concern" を直訳すると「最少の考慮」ですが、これは英語的な言い回しで、「もっとも心配しなくてもよい」ということは、まさに「絶滅危惧種ではない」という意味になるでしょう。「もっとも少ない」を「軽度」とだけ訳してしまうと、「絶滅危惧種ではない」というニュアンスが伝わりませんし、少しは絶滅のおそれがあるという、逆の意味が強調されてしまいます。

影響について

"Least Concern" が「軽度懸念」と訳されていることに最初に気づいたのは、Wikipedia 日本語版でした。

キハダ(キハダマグロ)のページ(2013年1月21日現在)より
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%8F%E3%83%80

乱獲で個体数が減少しており、IUCNレッドリストでは1994年版からLC(軽度懸念)として記載されている。しかし成長が早いこともあり他のマグロ類よりは深刻な状況ではないとみられている。
この文脈では、IUCN レッドリストで軽度懸念に含まれていることが、個体数が減少していること同様、絶滅のおそれがあるという趣旨に用いられています。ということは、この項目を書いた人は、LC カテゴリーの意味を誤解していると思われます。その誤解のもとは、「軽度懸念」という日本語訳なのではないでしょうか。一方、下の例のように、説明なしに「軽度懸念」が使われている場合も多いです。

マガモのページ(2013年1月21日現在)より
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%AC%E3%83%A2

国際自然保護連合(IUCN)により、軽度懸念(LC)の指定を受けている[1]。

この場合、文の内容は事実なのですが、「軽度懸念」「指定」という言葉のニュアンスから、これを読んだ人は、マガモは絶滅のおそれが少しはあるのだなと受け取ってしまうおそれがあります。もしかしたら、書いた人もそう思って書いているのかもしれません(がわかりません)。もちろん、確かにマガモには多少は絶滅のおそれがあるのかもしれません。マガモの絶滅のおそれの大きさは、クマネズミやドバトよりは大きいのかもしれません。しかし、そのことは IUCN レッドリストで LC カテゴリーに含まれていることから言えることではありません。どちらも同じ LCカテゴリーに含められているだけなのですから。

今度は逆に、Wikipedia のクマネズミやドバトの項目で、「これらの種類は IUCNレッドリストでは軽度懸念の指定を受けている」ともし書かれていたなら、それを読んだ人はどう受け取るでしょうか。これも事実ですから間違っていません。クマネズミやドバトなど、明らかに絶滅のおそれがなさそうな種類でも、IUCN という団体は、「少しは絶滅のおそれがある」と主張しているんだな、現実離れした団体だな、と思われてしまわないでしょうか?そうなったら、IUCN レッドリストそのものの信頼性をも下げかねません。

このように、「軽度懸念」という日本語の用語が、"Least Concern" のもとの意味を離れて、別のニュアンスで受け取られてしまいがちな現状について、筆者はちょっと気になっています。

現在生きているすべての動植物には、多少は絶滅のおそれはあるわけですが、そんな形式的なことを用語に含めることには、筆者は意味を感じません。上で挙げた弊害のほうが大きいと感じます。もちろん、すべての動植物が保護されるのは最善でしょうが、動植物の保護の活動を行うには、金銭的あるいは人的なリソースが必要です。有限なリソースを効果的に使うために、特に絶滅の危機に瀕している少数の種にスポットを当て、リソースを集中させやすいように、メリハリをつけるのがレッドリストの役目だと思っています。その際、もっとも重要な絶滅危惧種から、涙をのんで外したはずの種(=LCカテゴリー)は、絶滅危惧の「対象外」であることがもっとはっきりわかる呼び名に変えるのがよいのでは、と思っています。

レッドリストについては、他にもいろいろ感じている難しさがありますが、そのうち別の話としてまとめてみたいと思います。長文にお付き合い下さりありがとうございます。